子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

感覚感情は感じ切らないといけない

子どもの心をのびのび育てることを最優先にしたいと考えているので、家族の子どもへの接し方もどうしても気になる。

夫は、人が転んだりぶつけたりした時に、本人が「痛い」としっかり感じる前に間髪いれず「大丈夫!」と言う。「大丈夫?」と聞くのではなく、「大丈夫!痛くない!」と勝手に断定するのだ。ぶつけた瞬間に言うので、ケガの様子を見たわけでもない。

本人は確かに「痛い」と感じているのに、すぐさま横から他人に「痛くない!」と言われると、自分が感じたことを否定されているので、心地悪い。

部屋の温度が「暑い」「寒い」というのは、同じ部屋にいればどちらも感じることなので、片方が「暑いよね」と言ってももう片方が「そう?私は暑くないけど」というのは、分かる。

でも「痛い」という知覚は、他人が代わることはできない。本人にしかわからない。

それなのに夫は、人の痛みを「痛くない!大丈夫!何でもない!」と否定する。私はこれを何度もされていて、「なんであなたに痛くないって決めつけられなきゃなんないの?痛いかどうか決めるのはぶつけた私の体であって、あなたじゃないよね?」と心地悪さと怒りを感じていた。

夫はこれをまだ赤ちゃんの娘にもやる。

娘が頭をごっつんこした瞬間に夫は「大丈夫!何でもなかった!」と断定する。すると娘はきょとんとした不思議そうな顔になり、泣かない。

私はこれはすごく危険な対応だなと思った。

娘本人は確かに「痛い」という感覚を感じていたはず。それをすぐさま親に否定されたら「うん?違うのかな?」一つ一つの体感覚を確かめていく段階である赤ちゃんは混乱することになる。自分が感じた「痛い」という感覚。「痛くない!」と言う父親。これでは娘は、「痛い」という感覚を感じてはいけないんだ。「痛い」と感じるのはいけないことなんだ。と思うようになってしまう。痛くても、泣いちゃいけないんだ、と我慢するようになってしまう。

これが続けば、父親に否定されるがために自分の感覚感情にフタをして、だんだん鈍くなっていくだろう。

痛みを感じるのは、命を守るためである。

何らかの原因で痛みという知覚を失ってしまった人が、足の骨が折れているのに気づかずにいて重症化させてしまい、足を切断することになった話をテレビでみたことがある。

体はまだリカバリー可能な早い段階に、「痛い」という感覚を脳に送り、体を守るように行動させる。

もしも娘が、「痛い」という感覚にフタをして声に出さないようになれば、私達親もケガに気づかずに、重症化させることになってしまうかもしれない。

夫に、なぜ人が痛いと感じた時に間髪入れずに「大丈夫!痛くない!」と言うのか、その意図は何なのか聞いてみたら、しばらく考えて「わからない。でもそう言って(娘)が泣かずにすんだこともあるよね。」と言った。

ああ・・・・ほんとに危ない。

痛い時は泣いたらいいんだよ。

悲しい時も、怖い時も、泣いたらいいんだよ。

どうして泣いちゃいけないなんて赤ちゃんに教えるの?

 

夫は、たぶんそうやって感覚感情を家族に否定されて生きてきたんだろう。

さみしい、悲しい、怖い、おなかすいた、しんどい、痛い、息苦しい。

そのような感覚感情を、思い切り表現することを、親や周囲に許してもらえなかったのだろう。そうして、夫はあえて感覚感情を鈍くすることにして、なんとか生き延びてきた。感覚感情を鈍くするために、薬も使った。ネガティブな感覚感情を鈍くさせてきたがために、プラスの感覚感情も鈍くなってしまった。

彼は35になった今でも、心から笑うことも少ないし、自分がおなかがすいていることに気づくのも遅い。手が震えだして初めて空腹に気づくなんてこともよくある。しんどいのも無視するクセがついているので、いつの間にか無理して生きるのをやめたいほどにまで自分を追い込んでしまう。

 

自分の娘も、そんな人間にしたいの?

 

私はそれだけは嫌なので、娘がごつんこして泣いたら「痛かったね~びっくりしたね~よしよし。」と抱っこして撫でてあげる。

彼女が感じる感覚感情を、すべてそのまま認めて受け入れる。そして保護する。「お母ちゃんいるから大丈夫だよ~」って。

 

痛い時は痛いと言っていい。

さみしい時はさみしいと言っていい。

かなしい時はかなしいと言っていい。

ちゃんと声に出さないと、他人には分からないんだよ。

無理に抑え込んできた感覚感情は、しだいに自分の心と体を蝕み、生きていくことを難しくさせる。

 

だから夫には、娘の「痛い」を否定しないで、とお願いした。