夏休みで娘と2人、1ヶ月も旅をしている。
今は歴史ある街のとても風情のあるいい宿に宿泊中。
今日は娘を水遊びに連れて行った。とても素敵な場所で楽しかったと娘も言った。
なのに。
夜お風呂のときに私の娘のデリケートゾーンの洗い方が痛かったらしく、大泣きして、謝ってこれからは優しくするねと言ったのに彼女は泣き止まずに湯船に入ろうとしないので、「じゃあこれから自分で洗ったら?もう7歳なんだから自分で洗えるでしょ。」と言ったら、娘はさらに大泣きして「私なんで生きてるの〜、生きたくない〜!!」と言った。
洗い方が痛かったくらいで、何で生きたくないなんて言うのか。
何だか悲しくなってしまった。
心のどこかでは、わかっている。
いいホテルに泊まったり、母親と2人で1ヶ月も旅をしたりすることが、まだ7歳の娘が本当にしたい夏休みの過ごし方なんかではないことは。
娘は日本に帰りたいと言う。じいじばあばに会いたいと言う。
犬を飼いたいと言う。もう1人赤ちゃん産んでと言う。パパが欲しいと言う。
家族が少ないね、と言う。
娘が心から求めているもののどれも、今の私には与えられない。
私が与えられるものは、お金で手に入るものと、私との時間だけ。
私はシングルマザーのトップ10%に入る贅沢な暮らしをしていると思う。1ヶ月もホテル暮らしをして、各地の遊び場に連れて行って、可愛らしい服をたくさん買ってあげて、ほぼ欲しいだけおもちゃも買ってあげて、バイリンガル教育までしている。
こんなにたくさんおもちゃが揃っていて、こんなに頻繁に飛行機の国際便に乗っているシングルマザーの子供がいるだろうか。
夏休みの1ヶ月半、丸々一緒に遊んでいる母親がいるだろうか。
それなのに、娘は無い物ねだりをする。
何で生きているのとか生きたくないなんて、ちょっとしたことで口にして。
5歳のときにパパが「死んだ」ことを話したせいか、娘は死に興味を持ってしまい、幼くして身近なものに感じているようだ。
観光地の絶景を観ても彼女はその雄大さに感動するより、「ここから落ちたら死んじゃうね?」などと言う。
もう7歳なのにママが1人でエレベーターに乗ってゴミ捨てに行ったりする間待つのが怖くて、ついてくる。
「エレベーターが壊れてママが死んじゃうかもしれないもん」と言う。
パパが死んだことを伝えたせいで、娘はママまで死んじゃったら自分は天外孤独になるという恐怖心が非常に強い。
私がちょっと転んだだけで「ママ死なないで〜」と泣く。
家族が少ないせいだよね。わかっている。
母と2人で海外旅行なんてしなくていいから、観光地なんて行かなくていいから、おばあちゃんの家でみんなでワイワイ過ごしたいんだよね。
パパとママと自分とワンちゃんがいれば、近くの公園で十分幸せだよね。
だけど、今の私にはそれが与えられない。
娘はいつもそうやって、痛いところをついてくる。
「今の生活がママにできる一番いい生活なの。これ以上欲しいと言われてもママにはどうしようもない。」
そう伝えたら、娘は悲しそうな顔のまま眠ってしまった。
娘が寝てから、私は1人静かに涙を流す。
何でこうなったんだろうね。
パパがいたら、娘の性格も違っていたような気がしてならない。
家族がもっといて、みんな仲良しだったら、娘はきっとちょっとしたことで生きるだの死ぬだの言わなかったんじゃないかと思う。
台湾のおばあちゃんや親戚に会って一緒に過ごす時間があれば、自分が中国語を学ぶ意義も理解しただろう。今はなぜ自分が中国にいるのか、中国語をやらなければいけないのか、よくわからないもんね。
台湾の家族は、消えてしまった。
私が本当に欲しかったものも、本当は娘と同じ。
家族だ。
仲良し家族。
飛行機に乗ってあちこち行くより、家族みんなと犬と一緒に近くの川でバーベキューしたり、キャンプしたり。
ホテルで1ヶ月過ごすより、別荘で過ごしたかった。夫の両親が持っていた那須の別荘。
夫と私と娘と犬と父方のおじいちゃんおばあちゃんと別荘で過ごす夏休み。
あったはずの未来。
笑顔で溢れていたはずの愛に満ちたもう1つの世界。
ただ里帰り出産しただけで、全部消えてしまった。
私は全て吹っ切って、前に進み、自分ができる精一杯を娘に与えているつもりだけれど、親が与えられるものと子どもが本当に欲しいものは、いつも少し違っている。
金持ちの息子として育った夫を見てもそれはよくわかっていたつもりだった。
どれだけお金をもらっても、高級焼肉を普段から食べる生活をさせてもらっても、いい私立の学校に入れてもらっても、子どもの心は満たされない。
子どもが本当に欲しいものは、お金で買えない。
仲良しの両親と祖父母、兄弟姉妹、ペット。
そんなみんなでワイワイ過ごす日常。
愛に満ちた笑顔でいっぱいの家族。
親は努力と工夫と運気があれば、お金で買えるものは与えられる。
でも子どもが欲しいものは、仲良し家族。家族みんなからの愛情。愛を与えてくれる存在は多ければ多いほどいい。
それは子どもが当たり前に欲しいものであり、親が与えるのが一番難しいものなのかもしれない。