既婚者と独身者とで
コミュニケーション力が違うなあ、と感じたことは
ありませんか?
私は、あります!
自分が独身だった30歳ごろ、
仕事関係の複数の男性と食事に行った。
年齢は20代から40代で
既婚者もいれば独身者もいた。
焼肉だったから気遣いや気配りが垣間見える
食事でもあったけれど
やっぱり既婚者の男性は気配りがよくできるな!と
感心したことを覚えている。
会話の振り方も上手だし
場を盛り上げようという心配りが見えた。
一方独身男性は食べたければ食べる。
喋りたければ喋る。
自分に話を振られるのを待っていたり
お茶が空っぽでも気づかなかったり。
そんな感じで自分都合。
支払いの時も既婚者の男性2人がみんなが席を立つ前に
ささっと払いに行ってくれていて
女性に気を使わせない。
一方独身男性は、ちんたらちんたら
最後まで肉を食べていた。
私は不倫願望はゼロなので
既婚者を狙うことは絶対ないけど
やっぱ女子供大事にできている人と
そうじゃない人は人間的魅力が違うわ〜と
思った。
”コミュニケーション力は親密な人間関係の中でしか
磨かれない”
いろんなすごい人たちがこういうことを言っているけど
それは真実だ。
親密な人間関係とは
本音でぶつかれる関係。
いい時も悪い時も
上機嫌な時も不機嫌な時も
一緒にいる関係。
嫌なことは嫌だ!と喧嘩できる関係。
その人の歴史や背景もひっくるめて
尊重したり愛したりできる関係のこと。
職場の同僚レベルでは絶対無理。
普通の友人でも無理。
最高の関係は、夫婦なんだと。
むしろ夫婦は人間力を磨くために
一緒になるようなもの。
最近はお一人様も増えていて
生涯独身で何が悪いの?
という考えの人も増えていると思うけど
やっぱり、人間力が劣ります。
35歳をすぎてずっと独身の人と接すると
距離の取り方が分かってないな〜と感じる。
近すぎたり、遠すぎたり。
人の引き出し平気で覗くかと思えば
「私困ってませんので」とアドバイスを
突っぱねたりする。
他人のプライベート根掘り葉掘り聞いておいて
自分のことはあまり言わなかったり。
というかネタがないんだよね。
仕事と少しの友人の話くらいしか。
家庭があるとネタには事欠かない。
夫のこと、義理両親のこと、
子供のこと、家のこと、ご近所のこと
ママ友のこと、夫の職場のこと・・・
話の広がりはもう雲泥の差。
さらに結婚を複数回している人は
もっと話がおもしろい。
酸いも甘いも経験している人は
人間的深みがある。
独身者が板チョコだとすれば
離婚経験者は多層のチョコムースかな。
いろんな味と食感がある。
友達が結婚したら離れていく。
子供ができたらなおさら離れていく。
女性には特にあるあるだけど、
しょうがない。
だって話し合わないもん。
お一人様の話ってあんまり面白くないもん。
自分のことか親のことか仕事のことか
友人から聞いた話か姪甥の話?
若い独身者は別。
まだ結婚に夢見ている年代の人は全然いい。
キラキラした瞳で既婚者の話を聞いてくれるから。
一部の魂の使命で独身を貫いている人も別。
一流の芸の人とか、
キラキラ魅力的なお一人様ももちろんいる。
結婚せずに恋愛を謳歌するのもありだと思うし。
恋愛でもコミュケーション力は磨かれるから。
当てはまるのは、夢がもてなくて結婚諦めた人や
人間的魅力が乏しくて誰からも求婚してもらえずに
きた35歳以降の人のこと。
なんか毒のある言い方になってしまっているけど
これの代表はズバリ妹のことで
人間的につまらないし尖ってるなあ、と思う
妹と音信不通にしたら
なんか似たような人(40歳独身彼氏なし仕事だけ)
と立て続けに2人コミュニケーションをせざるを
得ない状況になって
神様に試されているような気になったのだった。
「私、困ってませんので」って
全然かっこよくないわー。
無駄に尖っちゃってるよ。
人は言葉だけでなく気を発している。
本当のところは気が伝えている。
体から出てしまっているエネルギー、気が
本音を伝えている。
だから言葉とそのエネルギーが真逆の人って
残念だとしか言いようがない。
素直になればいいのに。
助けて、教えてって言えばいいのにって。
寂しい、苦しいって言えばいいのにって。
天使も助けを求めなければ
降りてくることができないんだよ。
自分1人では思いつかないこと、
気づかないこと、見えないことって
無数にある。
人は人によってのみ磨かれる。
腹が立っても、しんどくても
他人と向き合うことで初めて
魂は成長する。
向き合うしんどさから逃げた人に
待っているのは、
孤独な老後だけ。
そして年老いた人間にとって
一番辛いのは、誰も自分のことを
気にしていない、と感じる孤独であることを
忘れてはいけない。
私も懲りずにまた人と向き合って
もっともっとコミュケーション力を
磨いていこうと思っている。