私の母は私が出産後退院して
最初の沐浴の時、手伝おうとした夫に
「あんたはいらん!」と言って
浴室のドアをびしゃんと閉めた。
私はあの時の母の形相を忘れることができない。
そしてあの出来事が、新米パパにになろうと
していた夫の心を、どれほど深く傷つけ
頑張ろうという気持ちを打ち砕いたか。
母は最初の沐浴はばあばの仕事だと
張り切っていた。
なぜかそんな固定概念を持っていた。
確かに経験者に教えてもらうことは
必要だけれど、そのやり方を夫も見て
学ぶことも、必要だったのではと私は思った。
だけどあの時の母は、そんなことを言えるような
空気じゃなく、私も沐浴にドキドキしていたので
夫のフォローまでする余裕など持ち合わせていなかった。
それから実家にいた間、母は何度も
「育児に男はいらん」
「男の人は役にたたん」
と夫の前で繰り返した。
それから母親と子どもの成長について研究を
重ねた私は答えを得た。
乳幼児期は子どもの世界には母親しか存在しない。
それは主な養育者という意味で、一般的には母親である。
授乳する人、おむつをかえてくれる人、泣いたら飛んで
来てくれる人だ。
新生児から1歳半ごろまでは母子の結びつきは
他者の介入を許さないほど強く
乳児にとっては父親も祖父母も保母さんも誰も
母親の代わりにはなれない。
それは子が生きていくための母と子の本能だ。
子は本能的に自分が生きるための母乳は
母親からしか出ないことを知っている。
自分の感覚感情を真っ先に的確に分かってくれるのも
母親しかいない。
必然的にその期間、父親は疎外感を感じることになる。
朝から晩まで24時間母は子に付きっきりだ。
子の方も父の抱っこに大泣きし、母の抱っこを求める。
今までのように夫の話をゆっくり聞く余裕など
皆無。夫の着替えや体調に気を配る余裕も消え失せ、
赤ちゃんを生かすことに必死になる。
しかしこれは1歳半ごろまで一時的なものである。
この期間の夫の役割は
神経を張り詰め、慢性的睡眠不足で肉体的にも
疲れ果てている妻の代わりに少しでも家事をしたり
労ること。
自分のことはなるべく自分でし
妻の負担を減らすこと。
しっかり仕事をしてお金や自分のことで
妻に心配をかけないこと。
疎外感を感じても、自分は大人なのだから
自分も親になったのだからと言い聞かせ、
堪えること。
間違っても子供から妻を奪おうとしたり
自分に関心を引くよう求める真似をしたり
ギャンブルや浮気に走るような自暴自棄な
行動をしてはいけない。
それは、長い子育て人生の中で
ほんのわずかな時間だけなのだから。
子が1歳半をすぎると自分で歩いて
冒険を始める。
夜泣きしなくなり、卒乳し
母親も寝られるようになる。
そこから3歳ごろまで子は
自分と他者は違うということを学び、
母親もまた自分の延長ではないのだと
時間をかけて悟っていく。
この頃にはイヤイヤ期の癇癪に
手を焼くようになる。
子どもはそれまでの自分と母親との一体感
万能感から目覚め始め
自分は実は小さくて弱い存在なのかもしれないと
気付き始め
なんでもできると思っていたのに
できないことに腹を立て、混乱しているのだ。
この時期の子の苛立ちに親がどう対処するかで
その子の一生が決まってしまう。
三つ子の魂百まで
本当に3歳までに受けた精神的影響が
一生を左右すると科学的にも分かっている。
自分と母親が一体ではないこと
他者の認識
万能感からの目覚め
それに伴う混乱と苛立ちを
親が上手に受け止め、慰めてあげることが
できなければ、その子の自我の認識は
歪んだものになる。
親の方が精神的に成熟していなければ
苛立つ子供を上手に受け止めることは
できない。
子どもの癇癪の破壊力は
凄まじい。
大人の声はかき消されるし
大人の都合は吹っ飛んでしまう。
この時精神的余裕を持って
子供を受け止めるためには
両親の協力が必要だ。
家族の役割としては
子を受け止める母親
↓
母親を受け止める父親
である。
この構図が重要だ。
子→母親→父親
未成熟な家族では
子 →母親
父親→母親
となったり
子→母親 (父親不在)
子→父親 (母親不在)
だったりする。
子→父親→母親
でもいいかと言われると、それでは
ダメなのだ。
神が与えた生殖機能、生き物の本能と
肉体、人間としての社会性
全てにおいて
子→母親→父親
の循環がうまく機能している家庭において
子は健全に発達することができる。
私の場合、夫がいた
1歳半ごろまで
子 →母親
父親→母親
だった。
そのため私はキャパオーバーになり
何度も爆発した。
それ以降父親不在になり
2歳のイヤイヤ期初期と離婚、引越し
妹との絶縁が重なって
私はまたもよく爆発していた。
いい加減にして〜!!と
片付かない新居で荷物に囲まれ
棚をひっくり返す2歳の娘に怒りを
ぶつけて突き飛ばしたり、無視したこともある。
全部全部わたし1人だった。
棚の組み立ても、仕事も、保育園の送迎も
食事作りも、駄々をこねる子のケアも
買い物も、手続きも、お金の管理も
全部、1人でやって、爆発した。
健全な精神を持った夫がいたなら
棚の組み立て、ゴミ捨て、送迎のどちらか
買い物、この辺りくらいはやってもらえたかと
思う。
それだけで、どれほど楽になるだろう。
言うことをきかない子どもの行動について
「今日こんなことがあって、」と
話す相手がいたなら、それだけでそれほど
心の荷物をおろせるだろう。
2歳の子は親を困らせたくて
棚をひっくり返すわけじゃない。
好奇心、遊びの1つ。
母親だけが世界の小さな我が子を
怒りで突き飛ばすなんて
そんな悲しいこと、本当は誰だって
したくない。
でも本当に細腕1つ、なんだよ。
全部は持てない。
ベビーカーと買い物した荷物と
10キロを超えた子供と全部抱えて
一度に階段は上がれない。
持って欲しい。
そしたら、笑えるから。
父親の役割って
夫の役割って
乳幼児期にはそこにある。
妻を支えること。
肉体的精神的両面で、妻の負担を
減らしてあげること。
怒っている子を優しく受け止めた
妻のストレスを、今度は夫が優しく
受け止めてあげる。
そしたら翌朝また全然着替えない
我が子に忍耐強く接することが
できるから。
そうして4歳頃から父親の出番は増える。
女より純粋で単細胞でシングルタスクが
得意な男は、子どもの遊び相手には
ぴったりだ。
女のようにお人形ごっごの相手を
しながら、あ、洗濯物入れなきゃ、とか
夕飯何にしようか、とか雑念にまみれず
集中して遊べるだろう。
力強くて体力のあるお父さんとの遊びは
子どもにとっていいことがいっぱい。
だからね、たった3年、4年の辛抱なんだよ。
父親の疎外感は。
そこまで忍耐ができなかった
心が赤ちゃんの男たちは
父親の役割から下りたり、下ろされたり
していく。
乳児期のあの頃
少し辛抱していたなら
こんなにも可愛い子どもの成長
こんなにも楽しい子どもとの遊びを
経験して、ステージを上げていくことが
できたのに。
そして10歳からいよいよ父親の本領発揮。
子どもが母親と分離して社会という
大海原へ果敢に飛び出していくには
社会的動物である父親の支えが大きな力に
なる。
思春期にはうまく子と分離できない
妻を慰め、説得し、子どもの自立を
母親が阻害しないように介入するのも
父親の役割だ。
思春期の母子分離段階においては
父親の介入が絶対に必要だ。
父親がいるなら。
母子家庭の場合は
母親は特に強く意識して
子供を手放す努力をしなければいけない。
その時、子ども以外に居場所が必要だ。
支えてくれる夫がいればそこが居場所になる。
いなければやりがいのある仕事だったり
なんでも話せる友人だったり
見守ってくれる恋人なんかが必要だろう。
私はもしも再婚しなくても
子どもが10歳になるときには絶対に
パートナーが欲しいと思っている。
自分から離れて行こうとする子どもに
すがりつくおんぶお化けの妖怪ババアに
なりたくないから。
私の母親のようになりたくないから。
育児に男はいらないかもしれないが、
育児する女には男が必要だ。