子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

台所から聞こえる母の鼻歌に隠された支配欲

母は最近夕飯を作っているときに
よく鼻歌を歌っている。

 

歌とも言えない、ただフンフンと楽しそうに

言っているだけの。

 

私はそれを聞くと殺意を覚える。

 

母がなぜそんなに嬉しいのか、

よく知っているからだ。

 

私の結婚が破綻して、

母が望んだ通りに娘と孫だけで

母の家に滞在していること。

 

そして、今までのように

私の意思次第で

「来週出ていくから」と

言われる心配がないこと。

 

私に、母以外に今日の出来事を

話す対象がいなくなったこと。

 

この人にとって

娘が不幸で孤立していて

母である自分だけが話し相手であり

頼れる存在であることが

 

何よりも大切な、彼女自身の

命綱なのだ。

 

このような母にとって

安心安全な環境の下で

娘の夕飯を作ることは

これ以上ない楽しみなのだ。

 

父の食事でもない。

孫の食事でもない。

 

一心同体だと思い込んでいる、

私という娘の。

 

母は娘を食事によって支配し

コントロールして来た。

 

夕飯の場は、主婦である母にとって

自分の権力を示す最大の見せ場である。

 

家族の胃の調子や、思春期の娘の

ダイエットなどお構いなし。

 

見栄えが最優先で

見栄えの良いものを品数多く

食卓に並べることこそが、

自分がかけがえのない立派な主婦である証。

 

パートが再開して以降

時間のかからないものが多くなったが

40代と70代と4歳の女の子の食卓

連日揚げ物が並ぶ。

 

スーパーで買ってきた

エビフライにクリームコロッケに

母が作った南瓜のマヨネーズたっぷりサラダ

ご飯に豆腐の味噌汁

 

焼き魚の日も付け合わせにわざわざ油で

あげた野菜チップスが添えられている。

 

酢豚の付け合わせの汁物?が

クリームシチューの時もある。

 

バランス無視?

炭水化物と揚げ物でおなかパンパン

 

中年と老人と幼児の家族に出す

食事なのか?

育ち盛りの男子高校生がいると妄想してる?

 

苦しくておかずを断ると

「え?そう?」と

不服な声を出す。

 

10代の頃は断ると

「母さんが作ったものが食べられへんって

言うんか!」とすごい剣幕で怒られていた。

父が帰宅する前に。

 

母にとって、子どもに食事を食べさせることが

自分の最大の存在意義であるため

それを断ると母を全否定したような気持ちに

させられる。

 

10代後半に姉妹揃って摂食障害になったのは

食事に母の支配欲を感じていたからだと思う。

 

当時の私にとって食べることは恐怖だった。

食べることは罪で、食べないことも罪で

食べ物の背後に常に張り付いている母親の

支配の念に振り回され、怯えていた。

 

だから、市販のものを自分で買って食べると

すごくほっとする。

 

実家を出て一番嬉しかったことは

好きなときに好きなものが食べられることだ。

 

食べなくても良いということ。

 

母のそばにいると

「食べない」ということは何があっても

許されなかった。

 

胃が痛くても、吐いていても

熱があっても、ダイエットしていても

昼に食べすぎて食欲がなくても。

 

夕飯を食べないなんてことは

厳罰に値すると思わされていた。

 

里帰り出産で夫婦で実家に滞在していたとき

母が最もキレた瞬間も、母の料理を断った

瞬間だった。

 

母はいつも朝起きるなり昼食のことを考え

昼食を食べながら夕飯のことを聞いてくる。

 

そして暇なときには昼の1時からもう夕飯の

支度に取り掛かる。

遅くても4時には台所に立つ。

 

その日も、朝10時ごろから母は昼食の

オムライスの支度をし始めていた。

 

こんなに早く昼食を作り始めるなんて

思いもしなかった私と夫は

その日の昼食には記念にアパートの近くに

あったオムライス屋に食べに行こうと決めていたが

まだ母には伝えていなかった。

 

皮肉にも、同じオムライスだった。

 

リビングにいた私と夫に

母はフライパンをジュージューさせながら

「今日昼ごはんオムライスだからね」

と言った。

 

私は慌てて

「え!今日昼ごはんアパートの近くの

オムライス屋に食べに行こうと思ってるんやけど」

と言った。

 

母は木べらを持つ手を止めて

短い沈黙のあと

「あ、そ。じゃいいわ。勝手にせえ。」

と言った。

 

夫が慌てて

「え、いやすいません、お母さんのオムライスも

食べたいですけど、あ、じゃあそれも食べます!」

と言ったけど

 

母は完全に機嫌を損ねてしまった。

 

居心地が悪くなって私たちは予定より

早めに家を出た。

 

戻ってから4時ごろに夫が

小腹すいたなあ、と言った。

 

そして

「お母さん昼のオムライスとってるかな?

もしあったら食べたいんだけど」と言った。

 

私は驚いたが、聞いてみたら?と言った。

 

母はまだ台所に立っていた。

 

なかなか言い出せない夫の代わりに

私は

「お母さん、昼のオムライスまだある?

(夫)くんが小腹すいたから食べたいって」

と言った。

 

すると母のおでこから

ブチーンという音が聞こえた(ような気がした)。

 

「ありません!!何やこんな時間に!

二人してお母さんのこと馬鹿にして!」と

キレた。

 

私たちが沈黙していると

母はなんと泣き出した。

 

「え?なんで泣いてるん?」

オムライスを食べるか食べないかで

まさか泣くなんて、驚いた。

 

母は

「あんたら二人してお母さんのこと

馬鹿にして。召使いみたいに、、、」

と小さな声で言った。

 

このエピソードからもわかるように

母にとって娘に食事を「自分が用意して」

与えることはまさに自分の存在意義そのもの

であり

 

母の作ったものを断ることは

母そのものを否定したと受け取られる。

 

とっくに成人し、結婚までしているなら

外に食べにいくのも自由

自分で何か買って食べるのも自由

食べないという選択をするのも自由

なはずだが

 

母にそんな理屈は通用しない。

 

前にも書いたが

母が作ったものは、私にとってとても

重い。

 

揚げ物や炭水化物で実際に重いメニュー

というだけでなく、込められている思いが

重い。

 

コロナのために不本意に実家滞在が

長引いてはや半年になろうとしている。

 

とうとう母の作った夕食を食べると

胃が痛くなるようになってしまった。

 

母が夕飯の支度を鼻歌まじりに

始めると殺意までも湧いてくる。

 

私にとってその時間にリビングに

いることは恐怖の時間となっている。

 

おととい胃がキリキリ痛かった。

そして朝ごはんを抜いて

娘と二人で一泊旅行に出かけた。

 

母の料理を食べなかったら

胃の痛みは完全に消えていた。

 

昨夜また母が鼻歌混じりで作った

エビマヨを食べた。

また胃が痛くなった。

 

寝るとき、私は決心した。

 

もう、自分を犠牲にして

母を喜ばせることはやめていいはずだ。

 

食事を通して母の重い思いを受け取ることで

具合が悪くなるなら

母の手料理を食べない選択をしてもいいじゃないか。

 

お腹も空いていないのに

夕飯を頑張って食べなくてもいい。

 

母自身は、自分は絶対に同じメニューを

食べない。

自分だけ健康長寿を願って納豆キムチと

サラダだけ食べている。

 

それなら私ももう中年なのだし

自分が食べたい健康食だけ

食べたいと言って母に私のおかずは

作らなくていいと言おう。

 

お母さんもそのほうが楽でしょう。

とかなんとか適当に言って。

 

父のコレステロール値が高いと、

健康診断結果をみながら

父に小言を言っていたのに

連日揚げ物にポテトサラダなどの

メニューを出す。

 

父のぽっこり出た湿疹だらけの

丸いお腹を見ると、なんだか悲しくなる。

 

ちなみに父はもう何十年もずっと

腸の調子が悪い。

正露丸は常備薬だし、そのせいだろう、

最近は原因不明の全身湿疹に悩まされている。

 

私たち家族は

母の自己顕示欲の犠牲者だ。

 

食は命に直接関わることで

それを管理している母に

私たちは心身ともに操られてきた。

 

子どもなら仕方ないが

もう立派に成人し、母よりも

栄養や健康法について詳しくなった

私は、これ以上自分を犠牲にしなくてもいいはずだ。

 

実家滞在はいつ解除されるか

わからないが

母の作ったものは、出来るだけ食べないと

決めた。