子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

「死」は生きている別れとは圧倒的に次元が違うということ

一昨日から見始めたドラマ。

「大切なことはすべて君が教えてくれた」

 

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三浦春馬さん。

 

生前全く興味なかったけど

このドラマを見ると、なんか、

この役のままの誠実な人だったんじゃないかなあ、って

気がした。

 

誠実な人が、若くして亡くなるのは

残された近しい人間にとてつもない

悲しみを残す。

 

30歳でこの世を去った三浦春馬さん

38歳でこの世を去った私の夫

 

私の夫も、

自殺なのか事故なのか

私はよくわからない。

 

最期の状況を見ていないし

知ったのさえ亡くなって半年も

経ってからで

 

戸籍に記載された

「死亡」という文字と

義父が加入していた生命保険会社の

調査書類の文章を見て

「本当に死んだんだ・・・」

と思ったくらいの状況で。

 

彼が最期、どんな風に

その肉体から抜けたのか

真相は分からないけれど

 

明確な事実は

彼は死までの15年間

ずっと精神病薬と睡眠薬

服用していたということ。

 

その脳は確実に、

薬によって破壊され続けていた。

 

自殺願望もチラチラ現れては

消える、という繰り返しが

新婚当初まではあったから

 

私と一緒に生きていける、と

彼が安心したであろう結婚2年目以降、

だんだん安定していたその精神状態が

 

私の母からのいじめと

私との別居離婚騒動で

一気に崩壊へ向かい

 

「離婚届を出しました」

 

という私からの冷たい一文を

みて以降

 

おそらくはそれまで以上に

自暴自棄な暮らしをしていただろうと

想像できる。

 

だから彼が、

跳ぼうと思って

マンションから跳んだとも考えられるし

薬で本当にボ〜っとしていて

朦朧とした意識でうっかり落ちたとも

考えられる。

 

どっちにしても

私の夫の最期も

このイケメン俳優の最期も

 

闘病の末

家族に見守られて息を引き取るのとは

全然違った形の、

「何か」を残された者に遺した。

 

80年くらい生きて

まあ、概ねやりたいことやって

寿命だよね、と周囲に思わせる

死と

 

若くして急で

「まだまだやりたいこと

あっただろうに・・・」と

周囲に思わせる死は

 

悲しみ苦しみの重さが

全然違うと思う。

 

私もおじいちゃんとおばあちゃん、

それにおじさんも何人か亡くしているけど

老人の死は大抵みんなすぐに納得して

普通に日常を取り戻す。

 

生き物はみんな100%死ぬんだもの。

 

老人が死ぬことは、自然なことだ。

 

だから私たちも、自然に受け入れるように

できている。

 

だけど

「入学式を控えていました」とか

「来年結婚の予定がありました」とか

「まだ小さい子がいて」とか

そういう、小さかったり、若かったりする人の

突然の死は

あまりにあまりに、辛いです。

 

そしてその悲しみも

やっぱり自分が経験しないと

当事者にならないと、理解も想像もできない。

 

私は親になったから

小さい子の事故のニュースとか

胸が張り裂けそうになるし

 

30代の夫の死を経験したから

死別の悲しみも、完全ではないけど

共感できる。

 

今日このドラマを見て

なんとなく

「この人死んだんだなあ。」

と三浦さんの顔を見ていて

夫のことを思い出した。

 

その後、なんとなく

自分が撮った娘の写真を眺めていて

可愛らしい靴下の足元を見ていたら

ふっと夫が言った言葉を思い出した。

 

それは妊娠中に夫が嬉しそうに

言った言葉。

 

「俺らの娘もこんなフリフリの白い

靴下履くんだよね〜、たまんねえなあ!」

 

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夫は、女の子のこういう靴下に萌えるって

言ってて、それを履いた自分の娘を見るのを

すごく楽しみにしていた。

 

履いてるよ〜。

見てる?

 

今もし一緒にいたなら

夫はすごくデレデレしていただろうな。

 

そんなことを思ってしまって

涙が溢れた。

 

どうして、見せてあげられなかったんだろう。

 

そのチャンスをあげなかったのは

この私。

 

離婚しても生きていたなら

写真ぐらい送ったかもしれないのに。

 

離婚しても生きていたなら

こんなふうに時代が変わって

世界が激変して

私たちの気持ちも変わって

子どもも成長して

 

会ってもいいよ、って

なったかもしれないのに。

 

私が成長して

気持ちが変わっても

娘が成長して

いろんなことを理解するようになっても

 

もう写真もメッセージも送れない。

 

死ぬってそういうことだ。

 

生きている人間が

どれだけ悔い改めても

思いが溢れても

相手にそれを伝えることができない。

 

ただ、戻れないあの日

別の選択をしていたなら、と

心の中で繰り返すだけ。

 

夫は別居中

娘が生後6ヶ月のころ履いていた

この世界で一番小さな靴下を

大事に持っていて

時折部屋でぼ〜っとそれを

眺めていたと

 

離婚の話をしに行った時

義母が話した。

 

だからあの子は

娘が可愛くて仕方ないんだよ、

あなたとも、離れたくないんだよ。

 

そう言って義母は離婚を思いとどまるよう

私に訴えた。

 

だけどその時の私は

「だったら!ちゃんと父親としてやるべきこと

やったらいいじゃないですか!

ただ逃げて、暴れて、お金もくれないし

これじゃ私たち生きていけないです。」

と私は言ったと思う。

 

長年精神を病んでいた彼を

引っ張り上げておきながら

また底に突き落とし

彼に守りたいものを与えながら

今度は糸を垂らさなかった。

 

あの時私は自分と生まれたばかりの子供の命を

守ることに必死で

どうすれば守れるのかを考えるのに

必死で

 

夫にチャンスをあげることが

できなかった。

 

私の当時の状況を話せば

誰も私を責めないし

同じ状況なら誰でも離婚を選ぶと

どう考えても何を逆さまに見ても

仕方がなかったと

 

あなたは親として正しい判断をしたと

 

当時相談した人は皆、

そう言ってくれたけれど

 

その後で彼が亡くなってしまったから

私の後悔は、格段に重くなった。

 

生きて選択した別れと

相手がこの世界から完全に消えるという

死による別れは

 

こんなにも

圧倒的に

次元が違うのだと

 

知ることになってしまった。

 

離婚を決意した時

あの時の私は精神錯乱状態の夫が

夜中に暴れることが怖くて

怖くて、それこそこのままじゃ

どっちか命がなくなると危機を

感じていたから

 

縁切で有名な京都の

安井金比羅宮へ行って

 

「夫が私の世界から完全にいなくなりますように」

 

と絵馬に書き、祈祷までしてもらった。

 

自分で祈っておきながら

悲しんだりするなよ、とも思うけれど

こんなに早くまさか死ぬとは思っていなかったから

 

私の世界から消えても

どこかまた別の世界で

別の誰かと出会ってやり直してくれればくらいに

思っていたから

 

だけど神様は

そして夫は

この地球から消えることを選んだ。

 

肉体を捨てることを選んだ。

 

そんなふうに完全に姿を消してみせて

私に大きな課題を与えた。

 

5歳になった娘の

可愛らしいフリフリの靴下姿を

一緒に見て笑う日々を

娘の人生に、この子のパパの人生に

そして自分の人生に、

選択しなかったという事実と

向き合う課題を。

 

若者が精神病薬を飲まないでは

生きられないような世界は

老人の暴走で小さな子が犠牲になるような

この世界は

 

心が優しくて誠実で純粋な人ほど

早くに旅立ってしまうような

この汚れ極まった世界は

 

陰謀論などと言われている通りに

一度、ゴジラが通った後のように

ぶっ壊れた方がいい。

 

今はそのタイミングなのかもなあ、と

外の世界を見ていて思う。

 

だけど私の内側の世界は

時々ドラマきっかけとかで

夫への思いが溢れたりはするけど

目の前でキラキラ生きている娘を

精一杯目をキラキラさせて

見つめて、笑っていたいと

思うのです。

 

 

心の整理にドラマをみよう。