子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

もしもあの時、の人生を想像してわかったこと

人生は選択の連続だけれど

今が辛い時、何か後悔していることがある時

人は分岐点であったであろう地点に思いをはせ

 

「もしもあの時、ああしていれば・・・」

 

という叶えられることのない想像をしてしまう。

 

数日前、なぜか早めに目が覚め、

ぼんやりと「もしもあの時」に

思いを馳せていた。

 

わたしの「もしもあの時」は26歳の時。

 

わたしは25歳の時、とある地方のテーマパークで

住み込みの仕事をしていた。

 

派遣だった。

 

そこで出会った社員の1つ下の男性がわたしを

好きになってくれ、わたしが入社してたぶん

半年経たないくらいで交際を始めた。

 

彼はラガーマンで、気は優しくて力持ち、を

絵に描いたような人だった。

 

ある日雨に濡れたまま施設の誘導に立った彼に

わたしがタオルハンカチを差し出したことが

きっかけで、彼はわたしに惚れたのだと

話した。

 

海に囲まれた田舎育ちの彼には

わたしは都会から来たお嬢様に映っていたらしく、

そんなお嬢様に優しくされたので天にも上る

気持ちになったのだと

 

崇拝にも近いくらいに大切にしてくれた。

 

車のドアは開けてくれるし

荷物は全部持ってくれるし

食べたいものはすぐに買って来てくれる。

 

お姫様扱いとはこのことだった。

 

彼は実家暮らしでわたしは女子寮住まいだったので

よくラブホテルに行っていた。

 

ホテル代は男が出すものだと思っていたわたしは

彼の給料のことなど、考えたこともなかった。

 

社員だったから派遣のわたしより多いだろう、

くらいに思っていた。

 

ある日、彼の友人と交際していた同僚に

言われた。

 

「彼が言ってたんだけどさ、Oくん最近お金が

 厳しいみたいだよ、ホテル代がきついって言ってたって。」

 

わたしはびっくりした。

なんで同僚にそんなこと言われなきゃいけないんだろうって

なんだか自分がひどい女みたいな言われ方だなって。

 

それからホテルを減らしたりはしたものの

休みの日に車で色々なところに遊びに行って

レジャー代や飲食ほとんど彼が払ってくれていたと思う。

 

それでも彼は

「時々思うんだよ。僕なんかがゆきちゃんみたいな

綺麗な人と付き合ってるなんて信じられないなあって。」

 

そんなことを言ってくれたりしていた。

 

都会の中では群衆に埋もれてしまうわたしでも

こんな田舎町なら女神のように女優のように

崇めてもらえる。

 

若いわたしはきっと調子に乗っていたんだと思う。

 

一緒にテーマパークで働いて

仕事終わりや休みの日にデートして

いろんなところに遊びに行って

たくさん愛し合って

 

彼の優しさと忍耐のおかげでわたしのわがままにも

喧嘩することなどなく

楽しく平和に日々を過ごしていた。

 

だけど会社の業績不振で派遣社員の2年目の更新は

なくなった。

派遣のわたしは、辞めざるを得なかった。

 

同時に社員の希望退職も募っていたから

わたしがこの町を離れると知った彼は

ゆきちゃんと一緒に居たいからと言って

 

8年勤めた会社を希望退職した。

 

そして2人で一緒に関西の”都会”に

引っ越し、同棲を始めた。

 

彼は、全てを捨てて一緒に来てくれた。

生まれ育った田舎町を出るのは、初めてのことだった。

 

彼はすぐに工場の仕事を見つけて

慣れない土地で働き出した。

 

だけどわたしは引っ越してすぐに体調が

悪くなり、なんか全部嫌になって

一度1ヶ月くらい実家に帰った。

 

彼を、初めて引っ越して来た都会の街に

一人ぼっちにした。

 

それに、墓場まで持っていくつもりのひどいことを

彼にしてしまった。

 

戻ってからわたしは新しい派遣先で

働き始めたけど

 

一緒に暮らし始めると

都会の洗練された人たちの中でみる

彼はなんだかダサく思えて

 

誰よりも優しい心の持ち主だったのに

顔が好みじゃないとか服がダサいとか

多分そんなくだらないことで

わたしは彼から心が離れていった。

 

仕事先でスーツのシュッとした男性に

囲まれて働いて、帰って来て

レーニングウェアの彼を見ると

なんだかがっかりした。

 

いつしかわたしは職場の先輩に恋をし

タバコをふかしてスーツにロングコートを

なびかせて待つその人にときめいた。

 

同棲していた彼はそんなわたしの心離れを

悲しみ、苛立ち、だけど心優しい人だから

帰りは駅まで走って迎えに来てくれ

それでも冷たいわたしの態度に傷ついて

 

浴室で頭を壁にゴンゴンぶつけたりしていた

そうだ。

 

そうして職場の先輩に完全に心がいってしまった

私の身勝手な理由で、1年半が経つ頃別れることに

なった。

 

一緒に買ったまだピカピカの家電や電灯を

当時は不用品を売るなんて概念がなかったので

粗大ゴミ置き場に一緒に捨てに行った。

 

彼は、悲しみをこらえながら

最後の最後まで怒ることもなく、取り乱すことも

なく、ずっと私を好きでいてくれた。

 

最初に濡れた彼にタオルハンカチを差し出した

私の優しさを、最後まで信じてくれていた。

 

最後に

「もう少しお金が貯まったら、

 プロポーズしようと思っていたんだけどな。」

と呟いた。

 

周りから見れば

私は田舎者の優しい男を弄んだ悪い女に見えていた

かもしれない。

 

当時の私は、自分がひどいとか悪いとか

そんなことも全く思っていなかった。

 

あれから15年。

 

あれが私が精神が健全な男性と付き合った

最後だった。

 

当時はわからなかったけれど

今はよくわかる。

 

引越し前に彼の実家を訪ねて

家族に会ったこともあるけど

 

あれを健全な家族というのだ。

 

田舎町の古い一戸建て。

職人気質の父と専業主婦の母。

優しいおばあちゃん。

お兄ちゃんを慕う可愛い妹もいた。

 

平凡だけど争いのない

平和な普通の家庭。

 

愛に満ちた空気がそこにはあった。

 

それが一番の奇跡だなんて

一番何としてでも手に入れなければ

いけないものだったなんて

当時の未熟な私には全くわからなかった。

 

神様はあの人と結ばれるように色々と

お膳立てをしてくれていたのに

私はことごとく拒否していた。

 

私は、まだ外国に行っていないとか

顔が好みじゃないとか高卒で語彙力が少ないとか

そんなことで

彼を振り、傷つけた。

 

もしも、派遣切りに合わずあと1年あそこで働いていたら・・・

2人で都会に引っ越したりせず、あのまま彼の地元で

愛を深めることができていたら

 

あの場所で結婚し、子供を産んでいたら。

 

彼はきっと真面目でいいパパになっただろう。

私は専業主婦になり、2人の子を育てる。

きっと、お姉ちゃんと弟。

 

彼の実家の近くに新居を建て

優しい彼の両親とおばあちゃんにしょっちゅう

子供も遊んでもらって

 

海に囲まれた田舎で

川で泳いだり、キャンプしたり

動物園に行ったり ドライブしたり

 

彼は運転がとても安定していて上手だった。

心が安定している人だからだ。

 

子供たちが小学校に入ったら

私はママ友たちと何か地域のものを

発信する仕事でも始めたかな。

 

実の妹とは疎遠になったけど

彼の妹はずっとお姉ちゃんが欲しかったんだと

言って、実の妹以上に慕ってくれる。

 

心がまっすぐ育った愛情に満たされた

子だから、素直な心のふれあいができる。

 

彼の家族と接するうちに

私はそこでもきっと生みの家族の不健全さに

気づくことになっただろう。

 

だけど、今の現実のようには私の心はブレない。

なぜなら、もう私には自分の家族が、人生の基盤が

どしっとあるから。

 

私の心がちょっとブレても

安定した彼はしっかりと受け止めてくれる。

 

ラグビーボールをガシッとキャッチするかのように。

 

私が選ばなかった人生。

 

平凡で安定した愛情のある

普通の家族のある生活。

 

海外旅行なんて滅多に行けないけど

日常に新鮮な海の幸があり

透明な川があり、素晴らしい自然の恵に囲まれた

健康な生活。

 

この人を、無下に拒絶してから

私が出会う男性は心が不健全な人ばかりになった。

 

イケメンだけど、心がズタズタ。

 

健全で愛のある家族とくっつくことで

平和的に生みの家族にあった不健全さを

乗り越えることもできたはずなのに

 

私はそれをキャッチすることができず

神様はより刺激の強い、嫌でも気づかざるを

得ない痛いカードを出すことにしたんだろう。

 

甘いカードじゃ気づかないみたいだから

強いの出すわ、って。

 

戻れない考えても仕方のない

If の人生を想像してみて

 

この選択を死ぬ時後悔しないように

私はあの時彼を振った理由にしたことを

きちんと全うしようと思う。

 

あんなに健全に愛してくれていた人を

拒絶してまで私がやりたかったことを、やる。

 

未熟だったとはいえ、

自分が選んだ人生に、責任をもつよ。