子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

小さな子どもにたくさんの習い事をさせる親の心理

「教育ママ」

 

なんか、この言葉自体もう時代遅れ。

 

だけどいまだに教育ママは実在する。

 

まだ保育園や幼稚園に行っているような

幼い子どもにたくさん習い事をさせる親の

心理とはどういうものなのか。

 

私が子供を預けている園の理事長(大学教授でもある)

が言っていた。

 

幼児にはまだ「選択する能力はない」

 

3歳にもなれば、女の子なら

今日どの服を着るか2、3着の中から

選ぶことはできる。

 

ちぐはぐだったりもするし

季節感がなかったりはするが。

 

今晩何が食べたいか?

うちの娘は「納豆」か「チョコレート」

しか言わない。

 

あまりにも選択肢を知らなすぎる。

 

ましてやお勉強や習い事になると

まだ世の中にどんなものが存在しているのか

知りもしない中で当然子どもに選ぶことは

できない。

 

となれば

親が、親の希望で

子どもにさせる習い事や塾を決めている。

 

3歳から何かを特別に習わせるのは

親の強烈な願望が入っている。

 

例えばアスリートなら

自分の子も同じようにアスリートにしようと

3歳くらいからやらせる。

 

オリンピック選手にはそんな人が多い。

 

親自身が直接指導している例も多い。

 

自分はオリンピックには行けなかったから

この子には行って欲しいという願い。

 

そうでなければ

 

自分は本当はピアニストになりたかったけど

そんなのは夢物語だと親に言われて断念し

普通の会社員になって結婚した。

 

だからこの子にはピアノを極めて欲しいという

願い。

 

一体、誰の願いなのだろう?

 

公文、進研ゼミ、

ピアノ、バイオリン、水泳、体操、などなど。

 

私の友人にも3歳ごろから子どもに

4つ5つの習い事をさせている人がいる。

 

幼稚園プラスこれだけの習い事。

 

幼児にしてすでに忙しい。

 

その建前は

「子どもにたくさんの可能性を与えたい」

「いろんな世界を知って欲しい」

「何か得意なものを見つけて欲しい」

「お勉強のできる子になって欲しい」

 

一見、”子どものため”という毒親の典型的特徴が

現れている。

 

その背景には

親自身の、学歴コンプレックス。

運動コンプレックス。何かの一流になれなかった後悔。

本当にやりたい仕事に就けなかった後悔。

 

義父母や実父母に認められたい思い。

SNS上の優雅なママへの嫉妬。

理想の旦那じゃない不満。

魂の望み通りじゃない人生への不満。

 

日々の平凡で退屈な暮らしへの不完全燃焼感。

あの人の子どもより立派になって欲しいという

ライバル心。

 

そんな、ネガティブ波動の意識があることが

多い。

 

自分自身の人生への不満や日々の我慢の

裏返しとしての子どもへの投資と期待。

 

幼い子どもは親の期待に応えようとするもの

だから興味がなくても、嫌なことがあっても

親に褒めてもらいたくて、喜んでもらいたくて

親の望む習い事をやるだろう。

 

幼稚園児の習い事の発表会。

スーツで参観する父母。

 

私には、檻に入れられた動物園の

動物たちのように見えてしまう。

 

この子たちは、本当に

心からこの舞台に立つことを喜んでいる

のだろうか?

 

檻に入りたい動物なんていない。

だけど捕まった以上は

生きるために見世物になるしかない。

 

野生の動物たちと同じように

小さな子どもは広いところを

駆け回りたいのである。

 

理事長先生も、モンテッソーリ女史も

同じことを言っている。

 

子どもは自分で遊びを見つける。

そして大人から見れば「ただの遊び」に

すぎないその行動によって発達する。

 

体操教室で教えられた動きをするのではなく

自由に野原を走り回ることでその年齢に応じた

体は作られる。

 

体操で無理をさせると自然な発達の邪魔に

なることさえあるらしい。

 

風を感じ、土を踏み

木の匂いを嗅ぎ、水を触り

転んで痛いことを知る。

 

これで五感が発達する。

 

お教室で文字を1つ1つ教わらなくても

ひらがな表を壁に貼っておけば

いつの間にか全部覚えている。

 

生きるために必要な言葉なら

教えなくても勝手に覚える。

 

子どもの学習意欲は凄まじい。

 

そんなことより何より、

幼児が一番求めているのは

親からの肯定と愛情である。

 

親の見栄や理想の代役として

お高い習い事をさせるために

共働きをし

 

子供を長時間園や祖父母に預けて

親とのふれあいの時間を少なくしている。

 

子どもは寂しい気持ちをこらえて

涙を呑んで親の笑顔や褒め言葉が

欲しくて習い事を頑張っている。

 

本当は、何かを特別に”教えてもらう”より

”自由に遊びたい”かもしれない。

 

本来は

そんな特別なことをしなくても

ただ、子どもがそこにいるだけで

親は笑い

 

子ども自身が見つけた遊びの中の

「できた!」を1つ1つ褒めることで

十分なのに。

 

 

健全な精神を育むためには

「そのままのあなたが素晴らしい」

「あなたはそこに存在するだけで私を幸福にしている」

 

そんな、全肯定のメッセージ。

 

上手にバイオリンを弾けるから

あなたは素晴らしい。

 

とか

 

体操が他の子よりできるから

あなたは自慢の息子。

 

とかじゃあ、ない。

 

じゃあ、それをやめたら?

それができなくなったら、ママは

僕を嫌いになる?

僕ダメな子になるの?

 

幼児にこんな思いを

抱かせてはいけない。

 

そんなの、自分で選択できる年齢に

なってからで十分なんだよ。

 

何かやりたいって自分で言い出した時に

否定しないで応援してあげるだけで

その時のためにお金を貯めておけば

いいんじゃないかな。

 

幼い子どもに必要なことは

「教育」ではなく「見守り」

 

私はそう思って、自由に遊ばせている。