母は、私が妊娠した時から
婿をいじめ始めた。
里帰り出産のために実家とその近所に
夫婦で滞在していた半年程の間に
元夫のガラスの心は木っ端微塵に
なってしまった。
「男なんか役に立たん。」
「娘と孫だけやったらなんぼでも
おっていいけど」
「いつまで寝とんや!」
「自分の服くらいハンガーにかけられへんのか」
「朝ごはん自分でしなさいよ(居候なんだから)」
挨拶は返さない。
物凄い仏頂面で過ごす。
(父がいない時だけ)
私たちの目の前で怒りをあらわに
手荒く洗濯物を畳む。
(わざわざ正面に座って)
嫁の実家で
こんな仕打ちをされたら
誰だって相当ダメージを受ける。
私の夫は、尚更だった。
彼は統合失調症という重めの
精神病を患っていて
新婚当初の3ヶ月、私の実家で
療養したことがある。
彼の異常な言動に耐えられなくなった私が、
もう離婚も辞さない、怖すぎる、と
海外の新居から逃げてきて
付いてきた夫を
母と一緒にケアしたのだった。
あの時私は
という情報を得て
母は糖質オフ料理を一生懸命作ってくれた。
おかげで夫は見違えるように目に輝きを
取り戻し、いい感じに痩せて健康になった。
病気が治ったわけではないけど
日常生活が比較的穏やかに過ごせる日が
格段に増えた。
その時の感謝を、夫はずっと忘れなかった。
母のことを「神様」とさえ
呼ぶようになっていた。
嫁の母親は、自分のために料理を作り
自分たち夫婦を心から応援してくれている。
自分は好かれている。
素直で純粋な彼は、
そう信じて疑っていなかった。
だからこそ母とLINEの交換もし
仲良くしようと彼なりに努力していた。
毎年夫婦一緒に帰省し、彼は私の実家が
大好きだといつも言った。
自分の実家には帰りたくない。
でもここには、自分が求めていた
「家族」がある、と一緒に鍋をつつくことに
涙が出るほどの喜びを感じていた。
ある夏、私はフォトアルバムを作った。
最後のページには
「私たちには、帰る場所があるよ」
夫婦二人して
私の両親の好意を疑ったことなど
一度もなかった。
バリ島で有名な占い師にみてもらった時
あなたたちを邪魔するのは、
旦那さんの親ではなく、奥さんの親の方だね。
そう言われて、意味が分からなかった。
まさか、そんなこと。
私たちは愛されてるのに?
それほど純粋に、健気に
まさに子供の心のままで
私たちは私の両親のことを信頼していた。
その母が、孫ができるとわかった瞬間
急に豹変したのだ。
きれいな向日葵だと思っていた花が
大きな棘を持った人食い花だったかのような
ショックだった。
今まで3ヶ月でも心地よく過ごさせてもらっていた
実家。
今回も同じように過ごせると思っていたのに
妊娠した私に付いてきた夫に、今回だけは義母の
優しさはかけらも向けられなかった。
子供の誕生を喜び、娘夫婦のこれからを
応援してくれるはずだと信じ切っていたから
母のそんな豹変を受け入れられなくて
理解できなくて、私たちは混乱した。
母は完全に婿を邪魔者扱いし
私たちを離婚させる方向に舵を切っていた。
母は、あの頃婿の全てが憎らしいようだった。
私(娘)と仲がいいこと。
二人でずっと喋っていること。
金持ちの息子であること。
仕事をしていないこと。
海外で生活していること。
旅行ばかりしていること。
よく食べること。
自由な精神の持ち主であること。
母は、応援しているような素振りを
していたけれど、本心では最初から
憎らしかったのかもしれない。
自分の人生、生活とはあまりにかけ離れた
育ちと暮らしだったから。
精神病であることを除けば
好きなことだけしてのほほんと暮らしている
ボンボンにしか見えない。
性格は素直で優しいと、両親ともに認めていたが
いわゆる”普通”の人ではなく、暮らしぶりも
平凡な生き方しかできない両親の理解を超えていたので
嫉妬もあり、憎らしかったのだろう。
何より、母には娘に自分以上の味方がいることが
許せなかった。
里帰り出産の帰省中の母の態度があまりに
ひどいので、私は業を煮やして直接聞いたことがある。
「お母さんなんでそんな不機嫌なん?
私に子供ができるのがそんなに嫌なん?」
母は、
「だってあんたらいっつもタッグ組んで
お母さんのこと悪く言ってるんやろ」
そう言った。
タッグを組んで誰かをいじめるのは
母の常套手段だ。
あの時、私はまだ気付いていなかったのだけど。
人様世間様からどう見られるか、が
人生の最大の関心事である母にとって
娘の結婚に反対することは自分で許せなかった。
結婚してすぐ離婚というのも、
お祝いくれた親戚になんて言ったらいいの、と
いう理由で引き留めた。
だけど孫が生まれるとなれば
悪魔の素顔を晒してでも娘が自分より
幸せな家族を持ち、海外で優雅に暮らして
自分を必要としないことなど
死んでも許せない。
もう、仮面をつけることさえ、忘れていた。
私たち夫婦に子供がいなければ
外国でわけの分からない暮らしをしていたと
しても、自分の人生と比較対象にはならない。
だから放っていたんだろう。
だけど子供ができたなら
子育てのためにキャリアや自分の女としての
楽しみなど、全てを”犠牲にして”生きてきた
自分の人生と否応なしに比較することに
なってしまう。
娘は、私と同じような育児人生、
私が理解できる範囲の人生を送らなければならない。
それを邪魔する奴は
追い出す。
母は、潜在意識で強烈にそう思い
行動したのだと思う。
100%信頼していた母だから
だからこそ私たちはまんまと作戦に引っ掛かり
離婚への道を突き進んだ。
幻聴妄想の症状があり
仕事もできず
人並みの人生さえも生きることを諦めていた
夫は、私との結婚に人生を託していた。
私と、私の両親を、心から信頼していた。
人はどんな時に他人に”憎しみ”を抱くか。
100%の愛、100%の信頼を
「裏切られた」と感じた時だ。
精神が健全な人ならば
離婚してもまた新しい人生をやり直せる。
だけど夫の場合は
どうしようもなかっただろう。
妻子と会えなくなり
大好きだった嫁の実家に行けば
警察呼ぶぞ、という状態になり
自殺ではなかったと義父は言ったし
本当に事故だったのだと信じるけれど
元夫は、2度と心から笑うことなく
絶望の果てに
精神朦朧とした状態で
死んでいったんだと思う。
最後に会ってから
わずか1年半だった。
彼の心を最初に金槌で殴ったのは、
私の母だ。
里帰り出産のために私の実家とその近所に
滞在していた半年の間に
母が、彼の心を粉々にした。
母のそばを離れたらまた前みたいに戻って
穏やかな暮らしができるかもしれないと
期待して外国に新居を構えたけれど
彼の心は修復できなかった。
子どもと3人の穏やかな暮らしは
本当に短かった。
離婚など1ミリも考えていなかった
妊娠中の私たち。
母が私たちを離婚に導き、
それが原因で元夫は死んだ。
母のいじめが原因で、彼は死んだ。
今私は自分の中でそういう結論に
至ってしまい、
母に対する愛情や感謝や信頼などは
完全に消失してしまった。
代わりに存在するのは
憎しみだけ。
そして、父のことも信頼していたけれど、
父は完全に母の味方であると思い知った。
子である私が話す内容が、それが母を傷つけたり
否定したりする内容であるなら、
事実を言うことさえ許さないから
お母さんが白だと言うならカラスも白なんや、
そんな態度で私の話を全否定するから
もう父に対する愛も信頼もなくなってしまった。
今回実家に帰ってきて新しく湧いてきた感情。
私の旦那は38歳の若さで死んだのに
お母さんは「育児に男は役に立たん」
そう言って私の旦那の育児参加を頭から
拒絶して新米パパだった彼を深く傷つけたのに
なんでこの年まで夫婦揃ってるの?
なんで今
「お父さん買い物行こうか」などと
二人仲良くスーパー行ったりしてるの?
私の旦那も、一緒にスーパー行くの
好きな人だったよ。
二人揃って高齢者になって、男はいらんの
じゃなかったの?
結局自分は子ども傷つけても夫婦仲は
死守してきたんだ。
自分は離婚する勇気がなかったのに
娘には離婚を望んだんだ。
私だって、夫婦で歳を取りたかった。
一緒に子育てしたかった。
子どもには二人の親がいて
そして4人の祖父母がいるよね、
その半分を、あなたは奪った。
もう一人のおばあちゃんは
息子に先立たれて写真や物を全部
燃やすくらい、ショックを受けたらしいよ。
孫にも会えないんだよ。
なのにあなたは、全部を欲しがっている・・・。
それは今回帰省して初めて
元夫が亡くなっていたことを知ったのだから
新しい感情が湧いて当然ではあるけれど
実の親に対して
こんな感情で日々接することは辛い。
両親が揃っていることが
憎い、と思う日が来るなんて
どうこの罪を償わせようか
コロナ騒動が落ち着いて
早く外国の家へ戻りたい。
両親と関係のない生活がしたい。
復讐計画もあるけど
子どもと自分の平和を守るため
今は、それだけ。