過干渉母の、最も干渉の強い部分は
食に関してだ。
子どもの頃、母が家族に食べたいものを
聞くことはほとんどなく、
自分が作ったものを食べないことを
絶対に許さなかった。
特に私に対して。
思春期にダイエットをしている時も
夕飯いらない、カロリーメイトだけでいいと
言ったら鬼の形相になり
その日からわざわざチョコレートケーキを
買ってきて
「チョコレートケーキあるけど
あんたはいらんのやろ?」と言ってきたり
ダイエットしたいだけなのに
「母さんが作ったもんがそんなに嫌なんか!」と
責めたりした。
母はいつも大量に食事を作って
食べなければ許さないという圧をかけていたので
私はいつもお腹が苦しく、
よく胃を壊していた。
胃の調子が悪くて嘔吐した時も
嘔吐してトイレから出てすぐに
「それでもなんか食べないと」と言って
口元までかぼちゃスープを持ってこられたり
した。
大人になってからも。
私が拒否できるようになったのは
結婚してからだ。
大学生で一人暮らしを始める頃には
妹は高校生の時に拒食症になって
大学に入ってからリバウンドし
今度はすごく太ったりした。
食べることへの母の圧力が
私たち姉妹の食べ方を狂わせたのは
間違いない。
過食症は恋人ができたことで
5年で克服し
実家を離れて自分で食をコントロールできるようになって
私は健全さを取り戻して行った。
それでも実家に帰るたびに
母の食への圧力は続いた。
母は、家族の世話をすることを
自分の生きがいにしてしまったために
三度の食事を準備することが
イコール自分の存在価値となってしまい
いかなる時も食事の支度をしないことを
自分に許せない人だ。
旅行から帰った夜も
自分の体調が悪い時も
家族の食欲がない時も
嘔吐している時でさえ。
母の家族に食事をさせることへの執念は
もはや神経症的で、一種の強迫観念と言える。
朝起きれば昼食の話をし
10時から昼食の支度を始める。
午後2時から夕飯の下ごしらえを始める。
私が夕飯のことを考え始める何時間も前に
母をすでに献立を決めて準備を始めているので
夕飯時間が近づいて私が
食べたくないと言ったりあるいは食べたいものを
思いついたりしたら
母の逆鱗に触れてしまう。
私の妊娠中
夫と2人で実家に滞在していたある日
母が朝の10時から私たちの昼食の
オムライスを作り始めていた。
母が何か作っていることに気づいた
私が、
「私たち今日お昼外に食べに行くつもりだから」
と言ったら母はなんと泣き始めた。
そして作りかけのオムライスをゴミ箱に捨て
「あんたらは2人揃って母さんのこと
召使いとしか思ってないんやろ」と言った。
「なんでよ、こんな早い時間から昼ごはん
作ると思ってなかったから言うの間に合わなかった
だけやん。お昼どうするか聞いてくれてもいいんじゃない?」
私はそう言った。
やはり母のこの態度は異常だと思う。
人のその日の胃腸の調子は
自分にしかわからないし
たくさん食べたい時もあれば全然食べたくない時もある。
まして海外から日本に帰ってきている私たちには
限られた時間の中で日本で食べたいものがあるのに
母はそれを一切考慮しない。
夫を追い出され、シングルマザーとなって
その修羅場の中で母が毒親だとはっきりと
わかった私は
それから母の食に対する支配を
明確に拒絶するようになった。
本当に、そこからなのだ。
40になってから、この母親に
命の基本である食をずっと
コントロールされてきたことに気づき
それを拒否しなければならないと
わかったのは。
結婚後、私は嘘みたいに胃の調子が
よくなり、大学生の頃には胃カメラを
飲んだり、働き始めてからもピロリ菌の
検査をしたりしたくらい胃が弱かった私が
胃を壊すことは滅多になくなっていた。
だから尚更、実家にいる時に
胃が重くて仕方なくなる。
今回、2年ぶりに帰省して
10日間の間に母は5回以上夕飯に
揚げ物を出してきた。
母が正月1キロ太ったと言うので
私は母に
「ご飯作りすぎやねん。
40過ぎたらちゃんと食べるのは1日1回でいいんだよ。
3食しっかりは食べ過ぎやから、そんなに作らなくていい。
特に夜はもう軽くでいい。食べたら朝体がすごく
重くなるから。私はそうしてるよ。」と言った。
そうしたら、次の夕飯に母は
エビフライとカキフライの定食を出してきた。
付け合わせのキャベツの千切りには
ひたひたにゴマだれをかけて。
父は今月、大腸の手術を控えている。
去年にも大腸に腫瘍が3つあって切除したと。
今年もまたできていて、そのうちの1つが
悪性かもわからないから手術しないと
いけないと。
大腸の手術を控えている70すぎの夫と
40すぎて胃が丈夫じゃない娘
まだ7歳の孫娘に
連日揚げ物を出す母。
そして母が毒なのは
自分は決まってそれを食べないというところだ。
母はいつも家族の食事とは別に
自分だけ健康的なものを食べる。
納豆キムチや温野菜、
お煮しめなど。
言い分は
残り物食べないとダメだから、とか
胃の調子が悪い、とか
ちょっと痩せないと、などだが
母の潜在意識は
自分だけは健康でいなければいけないと
いう強迫的な意識だ。
過干渉で支配欲が強く、世話好きな母は
家族が病気になって自分が世話をしたい。
逆の立場になるくらいなら
死んだ方がマシ。
私の祖母、つまり母の母は
看護婦をやっていた。
島の診療所の婦長さんとして
みんなに頼られていたらしい。
そんな祖母に憧れていた母は
自分も婦長さんになるのが夢だった。
だけど当時の世間の常識に合わせることが
自分の夢を追うことよりも絶対的に
優先だった母は
少しOLをやって結婚し
子どもを産んで専業主婦になる道を選んだ。
病院で婦長さんになるはずだった。
向いていたはずだ。
でも家族のために諦めたのだから
家族は病人と同じ。
私はこの子たちの世話をし
食事の支度をし、健康を支配する。
それから逃れることは絶対に
許さない。
家族の世話ができなくなることは
自分の選んだ道が失敗だったと言うことになる。
自分の存在価値がないことになってしまう。
だからそれだけは
家族の健康以上に優先しなければならない。
母の、人生最大の優先事項になってしまった。
父は昔から腸が弱い。
母の作ったものを文句を言わず平らげては
正露丸をよく飲んでいた。
娘2人は摂食障害になり
私は胃が弱くなって妹は腎臓を壊した。
母は家族の健康を支配し
狙い通りに病気にして自分だけは
入院も手術も一度もしたことのない
健康を守り抜いている。
家族の中で
私だけが目を覚ました。
母の恐ろしい潜在意識に気づいた。
だから堂々と拒絶する。
もう幼い子どもではないのだから
私には私の食をコントロールする
権利がある。
食べたくないものを食べる時間などない。
健康に関する知識なら、今は私の方が
遥に豊富だ。
私の大切な時間
貴重な一食は私の体と心が決める。