子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

子どもに人生を捧げない軽やかな親であろう

風邪で引きこもっているのでブログを

書く時間だけはある(悲哀)。

 

LINEでかなり思っていたことを

母にぶちまけたので、

 

私が夫と妹を失ったのを母のせいだと

考えていることと、

今後以前のように実家に帰るつもりがない

つまり老後の世話をするつもりもない、

ということくらいは伝わったのではと

思っている。

 

母は

「私はあなたたちと生活を共にする期間を

持つべき人間ではなかったと思います」

と書いていた。

 

あなたたちとは私たち夫婦のことだ。

 

自分は成人した娘に取り返しの

つかないダメージを与え

一人は離婚からの死別

一人は独身人間不信

40過ぎて姉妹絶縁

二人とも実家に寄り付かなくなった

 

そんな育児の結果を受け取るような

人間だと、少しはわかったのか。

 

健全な家庭環境で育ったなら

まずこうはならないだろう。

 

外側は健全平凡に見えた我が家。

 

母が、己の闇を全て子どもに

ぶつけてしまったために

一家離散の老後となった。

 

悲しい。

 

私だって、こんな結末は

想像していなかった。

 

子供が生まれる前は

田舎最高だ〜と言う夫と呑気に

「私たちには帰る家があるね」

と話していた。

 

妊娠中も

「親のことも出来る限りのことは

しようね」と話していた。

 

子供のために自分を犠牲にし

夢や恋や理想やいろいろなものを

捨てて諦めて

ひたすら「この子のために」と

育児に人生を捧げた母親ほど

こんな結果になると思う。

 

子どもに人生を捧げてしまったから

母子分離がいつまでもできずに

自分の人生と子供の人生の線引きが

できずに

いつまでも子供の人生に干渉介入して

結果的に子供の人生を壊してしまう。

 

潜在意識の中に

「自分を犠牲にして」という思いがあるから

見返りを求めてしまう。

 

老後そばにいてもらうことだったり

自分が理想とする婿と結婚することだったり

自分が人様に自慢できる職業だったり

 

子供の価値を

子供の人生を

己の価値観だけで断定する

毒親になってしまう。

 

お母さんがいないと

あなたはダメでしょう。

お母さんさえいれば、

大丈夫なんだから。

 

本当は、

あなたがいないとお母さんは

何もなくなってしまう。

あなたさえいればお母さんの

人生は満たされる。

 

自力で人生を歩む本能を持つ

子どもにとって

重荷、足かせ、恐怖でしかない。

 

おんぶババア。

 

夫が自分の理想とする男では

なかったことも

夢見ていた結婚生活ではなかったことも

才能があるのにキャリアが積めなかったことも

自分の美容にかけるお金や時間がなくて

老けてしまったことも

老後のお金が心許ないことも

 

全部全部子供のせいにして。

 

老後に取り返そうとする。

 

子供がすでに自分とは別の

関係ない人生を歩んでいることから

目を背けて。

 

子どもは自分などいなくても

立派に生きていける力を

持っていることから

目を背けて。

 

じっくり考えてみれば

快適なマイホーム

真面目で働き者の夫

70まで入院したこともない健康な体

人当たりのいい隣人

困らないだけの収入と貯金

優秀で健康で親思いの可愛い子どもたち(過去)

 

十分に幸せを手にしていたはずなのに。

満たされていたはずなのに。

 

母は、足りない足りないと

娘から奪うことばかり

考えてしまった。

 

確かに父はロマンのない男だったかもしれない。

誕生日に花の一つも買ってこない。

確かにセレブではなかった。

海外旅行に行ったことなんてなかった。

高級車でもなかった。

 

でも、十分だったんじゃないの?

娘から見て、私はそう思う。

 

そんな人生は、母自身が選んだものだ。

成人した娘と比較するものじゃない。

 

私は外国で仕事をし

先生と呼ばれ

記念日に花束とジュエリーをくれる男と

結婚した。

東京の一等地に不動産を所有する義理実家。

ビジネスクラスで海外へ行きまくる結婚生活。

 

母は、そんなものに嫉妬するべきではなかった。

 

それは私が想像できたからこそ

私の現実に現れたもので

母は母が想像できる範囲の理想の生活を

すでに手にしていたのだから。

 

離島出身の母からすれば

今の家は十分都会で

母の夢は叶っていたはずだ。

母は、マイホームの庭に花を植え

手料理をたくさん作って夫を迎える

そんな暮らしを夢見たから

現実になった。

 

子供を二人産んで

4人家族でマイカーで国内のレジャーに

いく育児生活を望んだから

そうなった。

 

私は外国で外国人あるいはハーフの

ロマンチックなことができる男と

自由に海外旅行をする暮らしを望んだから

そうなった。

 

 

人は、自分が想像できることは

実現できる。

感情を伴った妄想ができることは

遅かれ早かれ目の前に現実として

現れる。

 

だから

自分が自分のものとして想像さえ

できない世界にいる人に

嫉妬心を持つなんて意味がない。

 

人間、本気で望んで想像したことは

実現している。

 

私は、娘が成人してどんな暮らしを

送るのか、今は全く想像できない。

 

20年後。

 

世界は一体どんなふうになっているのだろう。

想像できる人いる?

 

20年前。

私が25歳の時

 

スマホはなかった。

私は大学の卒論を、ワープロで書いた

最後の世代だ。

 

就活のエントリーシートも履歴書も

100枚でも手書きだった。

 

デジカメを、かっこいいと

言っている時代だった。

私の大学時代の思い出は

フィルム写真だ。

 

覚えてますか?

 

たった2年前。

日本は外国人観光客数が過去最高になって

インバウンドというワードがトレンド

だったことを。

 

今、京都にさえ外国人の姿はない。

 

世界は、一瞬で変わる。

 

だから私の理想と母の理想が違ったように

私の理想と娘の理想は違って当然。

 

娘が手にする理想の暮らしは

今の私には想像もできないことで

 

それなのに娘が例えば理想的環境の

惑星での暮らしを手にし、

その時のイケメンランキング上位の

〇〇星人と結婚したからといって

 

年老いた私が

悔しい〜許せない!なんて

思うことに、意味があるのか。

 

それによって心身を砕いて

懸命に育て上げた娘に

絶縁宣言をされたりしたら

それこそ楽しい老後さえも

なくしてしまう。

 

私は、子どもは常に自分の想像を超えてくると

思っている。

 

だから私は今の私が想像できる範囲の

自分の理想の暮らしを引き寄せるだけ。

 

娘のためではなく

自分のために。

 

私が幸せで私が笑うために。

 

お母さんの人生幸せよ。

生きるって楽しいね。

もちろん、あなたの存在もひっくるめて。

 

そんなメッセージで

娘を後押しできるように。

 

そんな、軽やかな親で

あろうと思う。