最近よく報道される悲しい子どもの転落死のニュース
ゴミ捨てに行っただけなのに
子どもを失ってしまうなんて。
私は子どもが2歳の時にアパートで二人暮らしを始めた。
2階に住んでいたけど、ゴミ捨てはいつも子どもを
連れて行っていた。
1人なら1分で済むことが
子どもを連れて階段を降りて
5分かかるけれど
例え1分でも、子どもを1人家に残して
出ることは怖くてできなかった。
2歳はまだ玄関のドアを開けることは
できなかったけれど、ベランダの鍵を
開けることはできていたし
家の中にも危険がいっぱいで
正直一瞬も目を離すことはできなかった。
”子どもが寝ているから置いて出た”
この種の事故の時によく聞く言葉。
でも、子どもは寝ていても
親がいなくなると自然と目を覚ましたりする。
子どものいる人ならよくわかると思う。
朝少し早く起きて何かやろうと思ったのに
私が起きると子どももなぜかいつもより
早く起きてくる。
夜中に仕事をしていた時も
ぐっすり寝ていたはずの娘が
起きて「ママ?どこ?」
とリビングに来たことが何度かある。
6歳以下くらいの小さい子どもは
常に「親がいなくなったら」という
不安を持っていると思われる。
だから一瞬でも親の気配が消えたら
不安になって起きてしまうし
探しに行く。
小さい子どもにとって
親の存在は唯一の生命線だから。
親は自分の命だから。
私が子どもの頃
団地の4階に住んでいた。
ある日3歳の私と1歳の妹が昼寝していた時
母は少しの間ならと私たちを置いて
買い物に出かけた。
案の定母がいなくなった気配で
むっくりと起きた私は
妹の手を引いて4階から階段を降り
外に出た。
2人で外にいるのを見つけた
近所のおばちゃんが
「お母さんは?」と聞いて
母が戻るまで保護してくれていたそうだ。
3歳が1歳の手を引いて
階段を降りるだけでも危険すぎる。
何事もなくてよかったけれど
最近ではこんな風にご近所の人が
かまってくれることも減っている。
母はその出来事がいかにひやっと
したか、大人になった私に何度も話して聞かせた。
今私と娘はマンションの3階に住んでいる。
娘が6歳になり、窓から覗き込まないように、
とか、1人でエレベーターに乗ってはダメとか
誰か来ても開けてはいけないとか
いろいろな危ないことを話して理解できるように
なったので
ゴミ捨てくらいの短時間なら置いて出られるよう
になった。
それでも、例えば下で知り合いに会って
少し話して遅くなったりすると
娘はひどく心配して
ドアを開けるとドアの前で半泣きで
待っていたりする。
「ママ死んだかと思った。
エレベーター壊れて死んじゃったかと
思った〜!」などと言う。
子どもは常に、親が自分の前から
いなくなることを心配している。
親がいなくなったら
自分は生きられないことが
よく分かっているから
何よりもそれを心配している。
生き物の本能として。
幼い子どもだけで留守番させては
いけない。
ほんの一瞬でも。
寝ていても。
5歳以下なら
高いところから落ちたら、という
恐怖はまだなくて
親がいなくなってしまう恐怖だけが
大きすぎる。
車内に置いておくのも絶対にダメ。
親が見えなくなった恐怖は
子どもを衝動的に行動させる。
ドアを開けて飛び出すかもしれないし
何を触るかわからない。
車の危険はまだ十分に理解していない。
車や高い場所、階段など
この地球上に人間が作った物質の
怖さはまだ理解していないけれど
親がいなくなると自分は生きられない
という恐怖は生き物の本能として
持っている。
だから、絶対に
6歳以下の子どもを1人にしては
いけない。
10歳以下の子どもに
弟や妹の子守をさせて
家をあけてはいけない。
人はペットを飼うときは
その動物の習性について
人に聞いたりネットで調べたり
本を読んだりして勉強するのに
人間の子供については
勉強しない人が多い。
だって人間だから。
私も子供から大人になった人間だから
調べなくても分かるわよ。
想像してしまう。
きっと〜だろう。
これくらいなら〜だろう。
ライオンを相手にするとき
そんな風に知らないのに判断したり
しないはずだけど
人間相手ならそれをやってしまう。
分かっている、知っている。
そう思ってしまう。
その思い込みが悲劇を招く。
同じ人間でも
大人と子どもは違う。
子どもは小さい大人ではない。
そして自分が子どもの時に
何を考えどんな行動をとっていたかを
多くの場合は思い出せない。
だから育児も勉強が必要。
子どもの習性生態について
調べて学ぶことが必要だ。
そうして「知っておく」と
多くの不安は消える。
正しく知ることができれば
正しく対処することができる。
親は賢くならないといけない。
命に責任を持つ立場になったのなら
賢くならないといけない。
しんどくても
面倒でも
子どもの習性を学ぶ姿勢を常に
持っておくこと。
それでしかこうした悲しい事故を
防ぐことはできないと私は思う。