今読んでいる武士道の本。
復刻・松波治郎『葉隠武士道』|ダイレクトアカデミー/ダイレクト出版 会員サイト
戦後GHQによって禁書にされた、日本人が本来持っている精神、日本人の生き方が書かれている書。
その中に、不健全な親子関係とはどういうものかと書かれている。
真の孝行は、親が親の権利を主張しなくても、自然に生まれるものである。親が親の恩を押し売りし、見返りとして子に孝行を求めるなどというのは、そもそも親子の情を失っているのであって、これほど情けないことはないのである。
では、どんな親がどの子にも自然に生まれるはずの「孝行心」奪ってしまうのか。
本の内容をまとめてみた。
子どもから「親孝行心」を奪う親の子女教育法
- 子に必要以上に恐怖心を植え付ける親
- 子の正当な主張を「口答えするな」で終わらせる親
- 常に夫婦喧嘩をしている親
- 父と子を仲違いさせる母親
- 父と共同戦線で子に対する母親
- 兄弟姉妹を仲違いさせる親
- 偏愛する親
- 結婚して自立した子を親不孝呼ばわりする母親
1つずつ詳しくみていこう。
子に必要以上に恐怖心を植え付ける親
子どもというものは、決して最初から臆病ではないのである。
親が雷がなればヘソを取られるとか、寝ないと鬼が来るとか、悪いことしたらおまわりさんに連れていかれるとか、暗いとこはお化けが出るとか犬は噛むから触るなとか、高いところは危ないとか、やたらと子どもを脅して本来子どもが持っている勇気と好奇心を奪ってしまう。
今の親は子どもにやたらと「この世界は怖いところだ」と植えつけてしまっている。
そうすると子どもは挑戦する勇気をなくしてしまうのだ。
これは親の不徳と無知が原因であって、これほど恥ずかしいことはないと心得るべきである。
昔の武士は子どもに勇気を持つように励まし、現代の親のようにやたら恐怖心を植えつけたりしなかった。だから昔の日本人は強かった。
今は子どもに禁止することばかり。
「走るな飛ぶな触るなしゃべるな見るな聞くな遊ぶな」
これでは弱虫しか育たない。
子の正当な主張を「口答えするな」で終わらせる親
親の気質が強く、独断的な場合、多くは父母が結託して子に「親に口答えするな!」の一言で子どもの正当な主張を押さえつけている場合がある。
そのように押さえつけられて育った子どもは成長して社会に出てからも、自分の正しい主張をすることができない人間になる。
相当な頭脳を持っていても議論や交渉の場で負けてしまう。きつい親の自我が子どもを頭から押さえつけていた弊害は生涯に及ぶ。
親たる者は、心得なければならないことだ。
常に夫婦喧嘩をしている親
夫婦仲の悪い者の子は、不孝者が多いのである。
子は親を見習う。
親が喧嘩ばかりしていれば子ども喧嘩するようになる。
親が子の模範であれ。これが子を育てる第一条件である。
父と子を仲違いさせる母親
母親の盲目的な愛が正当な父の訓戒を台無しにすることが、しばしばあるものだ。母親が子の味方をして、父に食ってかかるというのは、子を父親に奪われたくないからであり、老後に「お母様はいい人だった」といって孝行してもらいたいという、実に狭小で醜い功利心からである。
このような母親のせいで父と不和にされた子に、栄光があるはずはないのである。
中には、自分がどれほど父に虐待されたかと、誇張して子に訴え、子の父に対する評価を誤らせる母親もいる。
もってのほかであって、そんなことをして子の同情を求めても子の同情を求めても、子の真の孝行は生まれてこないのである。
父には不孝だが母には孝だ、などという孝行は、あり得ないからである。
ここでいう「正当な父の訓戒」とは、育児において子どもの社会性を育む役割を担っている父親による、子が社会でまっとうにやっていけるようになることを願って教え戒めることだ。
例えば子どもが友達と喧嘩したときにどう対処すべきか、ということや、学問や仕事に向き合う姿勢など、主に処世術である。
母親に口答えしたことで子を叱るのは「正当な父の訓戒」とはかけ離れたものだ。
父と共同戦線で子に対する母親
母親に口答えしたことで子を叱るのはこの項目になる。
子どもが自分に対して意見を言ったり正当な自己主張をしたときに、母親がそれを被害者ぶって父に告げ口し、父が「お母さんに口答えするな」と子を叱ることである。
この子どもの味方をなくす卑怯な親の構図は、子どもが大人になってからも続けられる。
親は子がいくつになろうと、何があろうと子の味方でなくてはいけない。
ところが不徳で無知で自分のことしか考えられない母親は、成長した子どもが正当な意見を言ったことを「反抗」ととられ、長年かけて自分の味方をするように操縦してきた父に告げ口して共同戦線で子を押さえつける。
この行為は子どもに本来備わっている「孝行心」を徹底的に奪うものだ。
子どもが親に主張をするのは親にわかってほしい、認めてほしいと思っているからそうするのであって、最初から親を傷つけたくて物を言う子はいない。
しかしそれを「母親をいじめた」かのように捉えられ、父と共同戦線で一方的に悪者にされたらその瞬間子どもから「孝行心」が消える。親への信頼を奪う言動である。
兄弟姉妹を仲違いさせる親
この本の中には、親孝行してもらいたいために兄弟を故意に仲違いさせた愚かな母親の話が載っている。
ある母親がいた。この母親は成人した数人の息子を持っていた。ところが、我が強くて欲の深い人であったから、甲の家に行っては、乙が甲に難癖をつけたと告げて、「お前のところは、こんなに孝行してくれるのにー」と言い、また、乙の家に行っては、乙の感情を害するようなことを甲が言ったと告げて、そして、なんとかして自分に孝行をしてもらいたいと、あれやこれやと機嫌をとった。
もともと息子を心から愛するのではなかったが、息子たちは早くから家を出て、苦労して独り立ちしたこともあって、最初はその母親の言葉を信じて、甲は乙を恨み、乙は甲を恨んで、兄弟は仲違いした。
しかし、兄弟が仲違いすることは、決してその母親のためにはならなかった。母親は息子の機嫌をとるために、他の兄弟の悪口を言うが、しかし、それは最初から機嫌取りに過ぎないので、自分の欲念が満たされないと、甲の家を飛び出し、乙の家に行って、甲の悪口を言うありさまであった。
しかし、やがて、甲と乙はお互いに言ってもいないことを、母親が機嫌取りに捏造していたことがわかって、うんざりした。すると、母親はその息子たちをめぐって、どの子も孝行してくれないと責め立てた。
この結果はどうなったかといえば、早くに別れた母だからといって皆が親しみを持っていたのに、とうてい母親の我や欲念を満たすことはできないと悟ると、腫れ物に触るように敬遠するしか道がなくなった。
その母親は、だから一人の子の親愛も得られず、それでもなお孝行を要求し、息子たちの表面的な孝、金を貰ったり、欲念をできるだけ満たしてやろうということだけを得た代わりに、心からの、孝養心からの親愛というものを失ったのである。
偏愛する親
偏愛する親とは、子どもの中で誰かを特別に愛し誰かを愛さない親のことである。
例えば男の子だけを大事にし、女の子を粗末に扱う。長子を偏愛し、他を雑に扱う。言うことを聞く子だけを愛し、自己主張する子を忌み嫌う。
このように育てられた兄弟姉妹は不仲になり、互いに恨みや憎しみを抱くようになり、ひいては絶縁、さらに殺人などに発展する。
兄弟仲を悪くさせられた子はその原因である親に対して「孝行心」を持つことはない。もともと兄弟姉妹はともすると欲念ばかりが先になり、仲違いしやすい。
上の「兄弟姉妹を仲違いさせる親」同様に、偏愛する親は最後にはどの子からも真の孝行をしてもらえない。子どもは誰よりも親の本心を見抜くものであるし、兄弟姉妹の不仲は子にとって幸せなことでないから、自分に不幸の種を与えた親に孝行心など持てるはずもない。
結婚して自立した子を親不孝呼ばわりする母親
本の中では「妻を娶った息子」として書いてあったが、娘にも該当するので「結婚して自立した子」としよう。
子どもが結婚して自分から離れて自立し、新しい家族を作って幸せに生きることを妬み、親不孝だと言い回る言語道断の母親がいる。
そのような母親は子どもに愛され、大事にされるべきはいつまでも自分であって、子どもが他人を自分以上に愛し大事にしていることが許せない。
このような母親は息子の嫁、娘の夫は自分から子どもを引き離す敵だとみなしている。
本来、動物にとっての子育てとは子が自分の力で生きていけるように育て、子が配偶者を得て子を産み、家族を作ったところで終了するものだ。
子どもが自分の家庭を持てたことを喜び安心し、一歩二歩離れたところから応援するのが親のあり方である。
それを喜ばない親は、我欲の塊、利己心が強すぎて親の役割どころか種の存続の原則さえをもすっかり忘れている不届き者である。
日本古来の「孝道」によれば成人が最も大切にしなければならないのは親ではなく「配偶者」と「仕事」
- 子に必要以上に恐怖心を植え付ける親
- 子の正当な主張を「口答えするな」で終わらせる親
- 常に夫婦喧嘩をしている親
- 父と子を仲違いさせる母親
- 父と共同戦線で子に対する母親
- 兄弟姉妹を仲違いさせる親
- 偏愛する親
- 結婚して自立した子を親不孝呼ばわりする母親
私の母は、この8つのうち6つに当てはまっている。
親孝行されるに値しない不届きな母親であることが日本古来の「武士道」が説く「孝道」によっても証明された。
さらに日本古来の「孝道」とは、「忠」のことであり、「忠」とは主君への忠誠、親に対する孝行は「忠」の次だという。
つまり、現代で言うと成人した子は「仕事」と「配偶者」への忠誠を第一にすべきであって、親孝行は二の次で良いということだ。
だから仕事で帰省しないのは親不孝ではない。嫁が夫の実家に帰るのを嫌がるから帰省しないのも親不孝ではない。
成人した人間が最も大事にするべきは「結婚した相手」そして生活の糧を得る「仕事」である。
親の世話、つまり親の欲念を満たすためにその二つを子どもが犠牲にするのは「人の道に反する」ことであり、それを子に要求する親はもはや親とさえ呼べない。
孝行心を持てないことで自分を責めたりして苦しんでいる毒親育ちの人へ。
そして今子育てをしている人へ。
自分への癒しと戒めを込めて。
親を差し置いて自分の幸せを追求することこそが、国家繁栄、そして人類繁栄に繋がることです。
上の項目に1つでも該当するならば、そんな親は放っておこう。
老人の不幸は自己責任、子どもの不幸は親の責任。
現役世代の私たちが追い求めなければならないのは、自分と子どもたちの幸福です。
古代日本からの魂のメッセージ。